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「ブラッスリー・ドゥ・クワン」(東京世田谷区・三宿)
オーナーシェフ斎藤仁也さん

【 2005/12/20 】 

「フランス料理店に行きたいけど値段が高い」「イタリアンみたいにシェアできない」。フランス料理店に対するそんなイメージをもたれている方も少なくないはず。大衆的な街場のレストランを意味するブラッスリ−でさえ5000円以下では食事ができないと考えるのが一般的。「ブラッスリー・ドゥ・クワン」はその固定概念をある意味、破壊したと言えそうだ。


長瀬学さん(左)と小出一慶さん(右)の三人


4階だけにレストラン慣れしている客が多い


メニューは50種類以上。日替わりも毎日約20種

店舗データ
店名:ブラッスリー・ドゥ・クワン
住所:東京都世田谷区池尻3-30-10三旺ビル4F
電話:03-5481-5218
営業時間:(ランチ)11:30〜13:30(LO)
(ディナー)18:00〜23:00(LO)
定休日:水曜日
客単価:¥4800
店舗面積:28坪/19席
URL:http://ducoin.jp/blog/

■ 本当に使えるブラッスリーができた

メニューの中にある「小さな前菜」には、「フォアグラと根菜のブレゼ」(420円)、「ソフトシェルクラブのケイジャンフリット」(280円)、「地鶏手羽先のコンフィ クスクスのサラダ添え」(250円)というリーズナブルなメニューが並び、8品で2330円という盛り合わせも用意されている。また、サラダ、魚、肉などのメニューも多くがハーフポーションでオーダーできる。つまり、この店は客が都合のいいようにメニューの種類とポーションを調整できるのだ。『ゆっくりと食事を楽しむこともでき、前菜をつまみながらワインを楽しむこともできる』という本当の『使い勝手のよさ』を現実に実現している店、それがこの「クワン」なのである。今回はオーナーシェフ、斎藤仁也さんにこれまでの道のりをお聞きした。

■25歳で起業を目標にした修行時代

「ブラッスリー・ドゥ・クワン」は三宿の交差点の角にあるビルの4階に2005年の1月に開店した。1階に牛丼の「松屋」、2階に人気の香港麺店「新記」があるものの、外から4階にある店の存在を知るすべはほとんどない。1階のビルの入り口にあるメニュー看板と、かろうじて4階の窓に見えるフランスの国旗だけが目印と言えば目印。しかし、いまや週末の金・土・日は、ほぼ予約で席が埋まってしまうほどの人気店になっている。
斎藤さんが飲食と出会ったのは高校を卒業して入った専門学校が最初とのこと。「高校を出たら普通に大学に行くんだろうなと漠然と考えていたんですが、なんか違うなと感じるようになって。それで実家の中野坂上から一番近い専門学校を調べて、西新宿にあった東京調理師専門学校を見つけたんです」。高校を卒業し、自宅から自転車で五分のところにあった料理学校に入学。友達からは「なんで料理なのか」と聞かれることが多かった。高校まで、まったく料理には興味がなかったのだから、当然と言えば当然の質問とも言える。自分でもなぜ料理にしたのか、答えは見出せていなかった。しかしある時、「25歳で自分の店を出したいんだよね」というジョークが口から出た。あくまで冗談だった。調理師学校時代は遊んでばかりの毎日を送った。しかし、いつしか和食でもイタリアンでも中華でもなく、料理のベースはフレンチだなと考えるようになる。

■朝5時から夜11時まで働き、その後はクラブで遊ぶ毎日

調理師学校で一年間学んだ後、そのまま系列の製菓学校へと進む。「製菓学校に入ったあたりから、本当に25歳で店を出したいなと考えるようになったんです。それぐらいやらないとこの道を選んだ示しがつかないなと思ったんですよね」自称“腹黒い性格”の斉藤さんは、個人で店を開くからにはパンも焼けなければいけない、デザートも作れなければいけない、つまりなんでもできるようにしておく必要があると考えていた。だからこそ製菓学校に進んでいた。2年間学んだ後、21歳で代官山の有名フランス料理店に就職する。
すでに意思を固めていた斉藤さんは、ここでむちゃくちゃな日々を送った。始めは厨房には入れず、ギャルソンに配属された。しかし、系列店のブランジェリーに頼み込み朝5時から始まるパンの仕込みを手伝わせてもらい、パンの技術を学んだ。その後、ランチ時には店に戻りギャルソンとして働いた。ランチとディナーの間の時間は厨房に入らせてもらい、野菜切りなどの仕込みを手伝い、夜の営業が始まるとまたギャルソンに戻った。一日が終わるのが夜の11時。全く休む暇はなかった。それもすべて25歳で店をやるという揺るぎない決心が斎藤さんの心の中に確固としてあったためだ。「まあ、それでも仕事が終わると毎日のようにクラブに行って、遊んでましたけどね(笑)」

■23歳から25歳はスーパーサブとして活躍。そして開業へ。

1年ほどそのような生活を続けたある日、空きが出たため厨房に入ることになった。斎藤さんはオードブルなどの各セクションを猛烈な勢いでこなしていった。結果、半年間ですべてのセクションを担当。ある種の満足感を得てしまった斉藤さんは、次の店に移ることにした。入ったのは銀座にあったカフェ業態のフランス料理店。クラシックなフレンチではなくカジュアルな業態も挑戦したかったからこそ選んだ店だった。しかし、良くも悪くも若くして“こなせること”を覚えてしまった斎藤さん、陰湿ないじめに会い、耐え切れず一カ月ほどで退社する。しかし、25歳で起業するためには止まっているわけにはいかなかった。心機一転、アルバイト生活に突入する。「とにかく働きました。朝から晩まで。ランチは大宮のイタリアンレストラン、夜は新宿のイタリアン、そして深夜も別の店といった感じで一日に何軒もの店で働いていましたね」。23歳から25歳までの約3年間、サポートという立場ながら、スーシェフを任されるような仕事もしながらひたすら働き、開業資金を貯めた。

■25歳で三宿に開業。大切な事は、全てにおいて正直にすること。

25歳。念願の店、「プティ ドゥ ジュール」を三宿の246通り沿いのビルの二階にオープンさせた。開業資金は300万円程。約7〜8坪の小さなカフェスタイルのフランス料理店だった。クラブで知り合った仲間にウェブサイトの製作や写真撮影をほとんど無料でお願いした。斎藤さんはコックコートではなくティーシャツでラフなスタイルでキッチンに立っていた。想定していた客は女性。ところが、常連となったのは口コミで集まる同業者や食にうるさい男性客ばかりだった。知る人ぞ知るこの店に来ていたのが、後に「クワン」が入るビルのオーナーだった。

■28歳で広い店に移転

ビルのオーナーに移転を勧められ、1年ほど考えた結果、決断を下した。「25歳で店を開業した時に決めた次の目標は30歳までにもう少し広いところに移転することだったんです」。保証金200万円、内装工事300万円、開業資金はトータルで約600万円。居抜き物件だったため、開業資金は安く抑えることができた。「店をオープンさせた時は、運転資金が0だったのであせりましたけどね(笑)」。オープン当初は苦戦したが、雑誌掲載やブログでの情報発信などが功を奏し、現在の売り上げは、当初予想していた額の約2倍に到達しているという。
日替わりのメニューは、小皿の前菜料理、肉・魚のメイン料理、デザート、と約20種類用意。日替わりがこんなに用意されているブラッスリーは他にないのではないだろうか。これは斎藤さん独自のメニュー開発方法に理由がある。まず頭に浮かんだメニューを全て書き出す。そしてそのすべてを作ってしまう。開業当時もこのノリでメニューを作ったため、50種類以上のメニューが並ぶことになった。もちろん、リーズナブルな価格で提供するためには、日々ものすごい量の仕込みが必要になる。「出したいものを提供する、そして大切なのは適正な価格で提供する」(斉藤さん)。そのためには時間と労力がかかるのだ。まさにこの隠れた努力にこの店の魅力があるようだ。

■仲間の力強さ

ホールのサービスとドリンクを担当するのが長瀬学さん。斎藤さんがスーパーサブ(アルバイト)時代に同じお店のバーで働いていた仲間である。そしてキッチンの斎藤さんのサポートとして「プティ ドゥ ジュール」時代常連客の一人だった小出一慶さんが入った。この3人それぞれの力が合わさって生み出された価値がいま、大勢の客に支持されている。次の目標は2店目の出店という。そう遠い将来の話ではなさそうだ。


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